14年間のバスケットボール人生

こんばんは。のんです。

 

今日は私が小4のころから続けてきた

バスケットボールについて書きます。

超個人的な話なのでなにも面白くはないです。笑

 

社会人になってからボールに触れたのは

帰省して部活に顔出しにいった時の1回のみ。

久しぶりだったけど、体育館の空気とか、ボールのはずむ音とか、

シュートが入る時の気持ちよさとか、全く忘れてない。

 

14年間、受験、留学、休部とかで抜けることもあったけど、

最後まで本気でバスケットを出来る環境にいられたのは

大変だったけど、とても幸せだったと思う。

  

そこで今日は、バスケ生活をチームごとに区切ってから、

最後に私にとってのバスケットボールとは何なのか

についてまとめていきたいと思います。

 

 

ミニバス時代

 

f:id:nonfalcon55:20181029215208j:plain

 

髪短い!細い!若い!笑

小6のころの写真。

 

地元のミニバスケットボールのチームに所属して、

週5〜6日のバスケ生活。

練習もコーチもとても厳しかったけど、

全員バスケに対して本気で向き合ってた。

私のバスケットはこのチーム無しでは考えられないし、

バスケットの基礎も、スポーツマンシップも、全てここで学んだ。

 

4、5年生の頃は、がむしゃらに練習して、

6年生になって初めて4番のユニフォームをもらった時の感動は

今でもしっかり覚えてる。

 

自分なんかに務まるのかっていう不安と、

キャプテンとしての自覚をもたなきゃっていう焦りと、

このチームで県大会に出場したいっていう闘志。

 

こんな気持ちで始まったキャプテン生活は、

結果的にはとても苦しい1年間でした。

 

怒られて、怒られて、怒られて、

もはや今思えばそんなに怒られて無かったんだと思うけど、

何か声かけられる度に震えて萎縮して何も出来なかった。

 

 そして最終的には怒られなくなった。

 

コーチも、メンバーも、応援してくれる父兄の方々も、

もはやどうしたらいいのか分からなくなってたと思う。

 

何がそんなに怖かったのかな〜

がむしゃらにやらなきゃやらなきゃって思って

何も出来なかった1年間。

辛かったし、苦しかったし、ごめんなさいっていつも心の中で謝ってた。

 

どう考えても考え過ぎだし、怒られるって事は

それほど期待して見ててくれてたって事なんだよな〜

当時の自分に伝えてあげたい。

 

それでも、最後までやり続けられたのは、

少なからず今の自分を支えてる。

 

 

中学時代

 

引っ越しをして、メンバーも環境もがらりと変わって心機一転。

ミニバス経験者が1人もいなくて

ほとんど試合に勝ったことがない弱小チーム。

 

チームメイトに頼られるのが嬉しくて、

皆にも勝つ喜びを知ってほしくて、必死に練習した。

だけど、私のバスケに対する思いとか部活にかける思いが

皆のそれとは少しギャップがあって、

ある時から1人で自主練をすることが増えてきた。

 

それまではディフェンスを自分の強みとしてきたけど、

1人で完結できるスリーポイントシュートを

ひたすらに練習するようになった。

 

最終学年ではキャプテンをやらせてもらったけど、

昔と同様に自分がやらなきゃと気負いすぎて

仲間を頼ることができなくて、

試合はあまり上手くはいかなかった。

だけど、優しいメンバーと監督に恵まれて、

部活としては楽しく過ごすことが出来たかな。

 

でもほんとに、チームをもっと勝たせてあげられなくて

すごく悔しいし、申し訳なかったな、、

168対6とかで負けた時の試合とか、今でも思い出せる。悔しすぎ。

 

 

高校時代

 

勝つ喜びを味わいたい!の一心で、バスケの強いチームを探して受験。

この時の追い込み方が信じられないけど、

中3の1年間で100人抜きを達成して無事合格。

 

部活は練習こそ厳しかったけど、

仲間のバスケに対する情熱がすごく強くて

全員のモチベーションが高い環境でバスケが出来ることが

すごくすごく嬉しくて、どんな練習もすごく楽しかった。

 

途中でアメリカ留学に行くか部活を続けるか選択する際、

本気で迷ったし、仲間に伝える時もすごく辛かった。

だけど背中を押してくれて、

留学中も手紙とか、手作りのマスコットを送ってくれたりして

このチームに入って心から良かったと思えました。

 

アメリカ留学中のバスケの話はまたさらに

長くなりそうだから割愛するけど、

音楽がガンガン鳴ってる体育館で試合するのとか、

チアリーダー、観客のブーイング、ストリートバスケとか、

これぞアメリカ!って思えるもの全部経験してきた気がする。

ほんと貴重な体験だったなぁ

 

沢山学びもあって一言では語れません。

 

帰国後は、自分がいない間に急成長した同期達の試合を見届けて

少し休んでから、最後に少しだけマネージャーとしてチームに関わりました。

 

プレーヤーとはまた違った視点でバスケを見ることが出来て

新たな気づきが沢山ありました。

自分が直接プレーをしていなくても、

チームとして一丸になって目の前の目標に努力すること、

チームプレーってすごく素敵だなと思えた期間でした。

 

バスケに対して熱い想いをもって過ごした4年間。

今でも会いたいと思える大切な仲間達に出逢えました。

 

f:id:nonfalcon55:20181029231848j:plain

 

大学時代

 

大学に入ってからは、サークルとして他のスポーツに挑戦するか迷ったけど

最後にプレーヤーとして完全燃焼出来てなかったという理由で

バスケを続けることに。

 

サークルも部活も色々見に行ったけど、

基礎練が出来るということと、人のパリピじゃなさそうな感じが好きで

医学系の部活に入部することに決めました。笑

 

大学でのバスケはこれまでとは違くて、

誰かに教わるというよりかは、自分達で考えるバスケだった。

練習メニューも、日数も、試合も、全部自分達次第。

 

特に、幹部になった年はこれまでのバスケの経験を

精一杯思い出して練習メニューを考えて、どうやったら強くなれるのか考えて、

その結果が少しでも実践として表れるとすごく嬉しくて、

とても充実した時間でした。

 

なるはやで〜とか言いつつ練習後何時間も

ミーティングしちゃうのほんと笑えるし最高だったなぁ

 

小中高のバスケ経験をフル活用したのが大学のバスケだったと思う。

そして最後は笑って引退して、大事な仲間にも出逢えました。

久しぶりに会っても全然久しぶりじゃ無い感じ、そんな人達。

細くてもいいから長く続けていきたいなぁ

 

f:id:nonfalcon55:20181030001358j:plain

同期でクリスマスハッピー野郎🎅

 

 

 

以上。小〜大学生までの振り返り。

思った以上に長くなってしまった笑

節々でその思い出に浸ったりしてなかなか書き終わらない笑

文章にしてみて、改めて自分の人生の中でバスケの占める割合高いし、

こんな1つの記事になんか収まらない。

 

ということで、総まとめ的なのはまた今度。

バスケを通して得られたこととか、変わった価値観、

将来に繋がることとかを書いていこうかなと思います。

 

 

最後に、ここに書いたことはあくまでも主観なので

人によっては違うのではっていう所があるかもしれません。

もし嫌な箇所があったら何かしらの方法で教えてください。 

 

 

以上!!!長かった!笑